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Con74

「バッハ後期の作品に見る集大成への道」

​ 今回演奏する曲はいずれも「後期」に入る50歳を過ぎたバッハが“仕立て直し”を行った作品です。ミサは1738/39年頃、カンタータはさらに後の1746年以降ですが、この“仕立て直し”に込められたバッハの思いと創意の奥深さを探ると「後期にみる集大成への道」が浮かび上がってきます。
 1723年に聖トーマス教会カントールに就任したバッハは、初めの数年間、カンタータを週に1曲のペースで作曲し、この時期の現存する曲だけでも約140曲に上ります。現存する総曲数が200余りであることを考えても、この時期に如何に集中しているかが分かります。
 しかし1730年代に入るとその活動内容に変化が生じ、カンタータ新作は激減。現存するものは20曲にも満たないのです。これに対し改作を含め再演された曲は70余りあります。ここで中心となったのが、旧作(原曲)を新しい形へと仕立て上げる「パロディ手法」です。「パロディ」とは、『既存の声楽作品、ときに器楽作品に新しい歌詞を与え、また作品そのものにも手を加えて新しい作品を作り出す』ことです。現代では「パロディ」というと低く見做してしまうのですが、「ルネッサンス」「バロック」においては、「パロディ」は神学的意味合いからも正統手法であり、古代エジプト、ギリシアからの考えに根ざすものでした。
 『天才的人間の本質というよりもその活動は、新しいアイデアを見いだすことではなく、自分の前になされたことはすべて、いまだ十分なされていない、という確信に根ざしている。(ドラクロワ)』

「パロディ」に基づく曲作りにおいて、歌詞の付け方には2つのパターンがあります。

  1. ドイツ語(原曲) → ドイツ語(改作)
    例:≪クリスマス・オラトリオBWV248≫(1734/35)、≪昇天節オラトリオBWV11≫(1735)
      ≪復活節オラトリオBWV249≫(1738改作版)、≪カンタータ第34番BWV34≫(1746/47)

  2. ドイツ語(原曲) → ラテン語(改作)
    例: ≪短ミサ曲BWV233-236≫(1738/39)、≪ロ短調ミサ曲BWV232≫(1748/49)

 

 原曲は教会カンタータ(礼拝式で演奏されるもの)または世俗カンタータ(領主等に依頼されて作曲されたもので、その大半は演奏機会も1度だけ)であり、これらの中から選りすぐった楽曲を組合せながら新しい曲にまとめ上げていくのです。
 バッハの力量からすれば、まったく新しい曲を作るのにそれ程の労力も要しなかったことでしょう。わざわざ1つの原曲の歌詞を別の歌詞に置き換え、それに伴って音楽そのものも部分的に修正する作業の方が、かえって時間を要したかもしれないのです。にもかかわらず、バッハは「パロディ」によって、生涯の最後には≪ロ短調ミサ曲≫という大曲を作り上げました。また、カンタータ第195番にも見られるように、再演の機会を得るたびに改作を重ね、生涯の最後まで創作意欲が衰えることなく、亡くなる直前に上演した時にも、レチタティーヴォに加え最終のコラールを作曲しているのです。
 バッハがそうまでして曲を作り上げる意図は何だったのでしょう。それはこの「後期」において年齢とともに高まる質への要求とも相まって、上に述べたように『いまだ十分になされていないことをなし遂げる、より納得のいく形にまとめ上げる』という、バロック巨匠の芸術家魂が「集大成への道」を登りつめさせたと思えてなりません。
 さて、今回のカンタータは2曲とも原曲(初演時)は結婚式用でしたが、その後別々の道を辿りました。

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カンタータ第195番≪光は義しき人のためにさし出で≫(BWV195)
1748/49年最終稿成立

 演奏する最終稿は最後期のカンタータに属する貴重な曲です。初演は1727~32年で、その後1742年頃再演され、ともに教会の婚礼ミサで演奏されています。再演する際に演奏しない部分を切り取ったり、新たな楽譜を加えるなどの作業が加えられたことが、作曲年代の特定を困難にしていました。小林義武氏によって、筆跡や透かし模様から上述の年代付けがなされましたが、初演時の痕跡は表紙の自筆によるタイトル書きだけに残されています。なお、最近の研究によれば、1736年にオールドルフで行われた結婚式でもこの楽譜が貸し出され演奏されたようです。その楽譜は失われたもののテキスト印刷本があり、内容がBWV195とほぼ完全に一致しているのです。

 

第1曲 ソロと合唱  D-dur 4/4 → 6/8
 協奏曲の原理とフーガの様式を巧みに結合し、バッハのカンタータには珍しい8声の合唱曲がトランペットを伴って、結婚式にふさわしい豪華さを与えています。後半は6/8拍子に変化して「喜びと感謝」を歌います。
第2曲 レチタティーヴォ(バス)  h-moll → G-dur 4/4
 第4曲とともに最終稿に当たって新たに書かれ、クリストフ・ヴォルフが指摘するように「作曲技術が非常に高度になり驚くべき水準」に達しています。
第3曲 アリア(バス)  G-dur 2/4
 バッハカンタータでは珍しい時流に適合させた曲であり、明らかにドレスデンのオペラ様式との関係が見られ、逆付点(ロンバルディア)リズムが「弾んだ喜び」を生き生きと伝えています。
第4曲 レチタティーヴォ(ソプラノ)  e-moll → D-dur
 (フルート、オーボエ・ダモーレ、通奏低音付)

 ヴォルフは「色とりどりの音色が見事に混ぜ合わされた豪華な生地を楽器が織りなし、それがソプラノの朗詠の殊のほか洗練された鮮やかさを際立たせている」と評しています。
第5曲 ソロと合唱  D-dur 3/4
 4声でありながら、ソロと合唱が交互に唱う形をとっており、ポロネーズ風の快活なリズムが、第1曲とは違った華やかさを添えます。
第6曲 コラール  G-dur 4/4
 婚姻成立後の第2部はこのコラールのみで、パウル・ゲルハルトの詞によって神を讃美して締めくくります。

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カンタータ第34番≪おお永遠の火、おお愛の源よ≫(BWV34)
1746/47年頃成立

 バッハが、現在では断片しか残っていない同名の原曲(1726年初演、BWV34a)の中から2つの合唱曲と1つのアリアを転用し、「パロディ手法」によって聖霊降臨節第1日用として作曲した、晩年の数少ないカンタータの1つです。作詞者は不詳ですが、当該主日用の聖句内容を踏まえつつ、「永遠、火、イスラエル、平和」等のキーワードを活かした歌詞を作り出しました。最近では、この曲はバッハが長男W.F.バッハのために作曲し、ハレの聖母教会で活動していた彼が演奏したともいわれています。現存する楽譜を丹念に調べることによって、バッハ以外に彼の筆跡も見られ、それが演奏した形跡とも取れるからです。

 

第1曲 合唱  D-dur 3/4
 歌詞に出てくる2つの言葉をもとに対照的主題が表れます。トランペットの奏でる持続音による「永遠のewiges」と、聖霊降臨と関係づけるヴァイオリンの活発な音型による「火Feuer」がそうです。この2つの言葉は原曲からそのまま取り入れられたものです。
第2曲 レチタティーヴォ(テノール)  h-moll → fis-moll 4/4
 聖書章句にしたがって自分の心が主の好ましい住まいとなるように願います。
第3曲 アリア(アルト)  A-dur 4/4
 「バッハ作品中でも無二の美しい旋律と響きを持っている」とシュピッタに賞賛された、魂への祝福の快く優しい響きです。バッハが晩年になって20年以上も前の原曲に立ち返り転用したのも頷けます。
第4曲 レチタティーヴォ(バス)  fis-moll → A-dur 4/4
 前曲にあった「祝福Segen」をあらためて引用しクローズアップします。
第5曲 合唱  D-dur 4/4
 冒頭「イスラエルに平安あれ」の後、管弦楽の高らかな喜びの音楽が鳴り響き、まったく同じ管弦楽曲に合唱が加わります。そして最後にもう一度「祝福」の言葉を繰り返した後、終結に向かって高潮しながら歌い上げます。

(大石 康夫:会員)

「4つの短ミサ曲(BWV233-236)について」

 キリエとグロリアだけからなる短い「ラテン語ミサ」をバッハは、ヘ長調 F-dur BWV233、イ長調 A-dur BWV234、ト短調 g- moll BWV235、ト長調 G-dur BWV236 と4曲残しています。バッハにおいてこれらの持つ意義が、これまで考えられていたよりも重要であることが、最近認識されてきました。「ラテン語ミサ」といえば、即「カトリック」という単純な図式ではなく、ライプツィヒでも「ラテン語ミサ」は普通に歌われており、特に大きな祝祭日には「マニフィカト」「サンクトゥス」等がオーケストラ付きで演奏されていました。従来「ラテン語ミサ」の作曲は、バッハが「ザクセン宮廷作曲家の称号」を得ようとして曲を献呈した「ドレスデン(当時カトリックであった)との関係」が過大に注目されてきました。しかし、バッハはワイマール時代以降30年以上にわたって「ラテン語ミサ」に(他人の筆写も含め)傾倒していたのです。
 さて、この「4つの短ミサ」はセットとして構想されていることが、次のことから伺えます。

  • パロディの基となった原曲が共通の教会カンタータ(BWV79,102,179,187の4つ)から採られている。

  • 4作中、2作の自筆譜は失われているが、娘婿アルトニコルの筆写総譜では4作が一括してまとめられている。

  • 4作の調性配列に計画性が見られ、「A-dur、G-dur、g-moll、F-dur」の音階順で#系2曲のあと♭系2曲が続く。

  • キリエの様式が「A-dur、g-moll」=「当世風・コンチェルト様式」、「G-dur、F-dur」=「古様式・モテット風」と対比的。

 

 さらに詳細な楽章構造までほとんど共通であり、合唱曲は第1曲キリエ、第2曲グロリア冒頭 、第6曲グロリア終曲の3曲ですべて主調、アリアは第3、4、5曲の3曲で近親調にて作曲されています。
 「4つの短ミサ」は総計24曲からなりますが、そのうちの13曲が先に述べた共通の教会カンタータを原曲とする「パロディ」です。「パロディ」については先に詳しく述べましたが、この場合は「2.ドイツ語(原曲)→ラテン語(改作)」のパターンに当たります。転作手順は、まずミサのテキストに当てはまる音楽を自作のカンタータから選び出します。その際の基準は「アフェクト(情緒、心情、魂の状態)が的確に表現されていること」が第一で、「個々の語の表現」はあまり強調されず「パッセージ全体の意味表現」が重視されます。好都合にもラテン語典礼テキストはフレキシブルで置き換えやすく、原曲ドイツ語カンタータが無理なく転用されました。こうして、「原曲教会カンタータ」は教会暦によって使用日が制限されることから解放され、普遍的なミサ曲に作り直されました。
 バッハの死後、「ラテン語ミサ」は18世紀後半には高く評価されていて、トーマス学校の主レパートリーでした。この状況が変わったのは19世紀後半になってからで、ドイツにおける「ナショナリズムの興隆、及び上述した美学上の変化」から、「ラテン語教会作品」が低く評価されていました。しかし、21世紀に入って、もう一度バッハ「ラテン語教会作品」の持つ意義が見直されているのです。
 今回2つのミサ曲を取り上げましたが、同じテキストでしかも同じような楽章構造を持ちながらも、対比が豊かで、違いや個性が明確なのには驚かされます。冒頭「キリエ」は、ミサ曲ト短調では「当世風」(コンチェルト様式)なのに対し、ミサ曲ト長調では「古様式」(モテット風)です。また、ミサ曲ト短調は「ヨハネ受難曲」の主調、ミサ曲ト長調は「クリスマスオラトリオ」第2部「降誕の告知」の調性であり、「受難と降誕」の対比も鮮やかです。

ミサ曲ト短調(g-moll) BWV235
1738/39年頃成立

第1曲 キリエ 合唱  g-moll 4/4 (コンチェルト様式)
 同じト短調である「ヨハネ受難曲」の冒頭を思い起こさせる神へ呼びかける「キリエ」で始まり、「第1Kyrie、Christe、第2Kyrie」の3部構成。原曲はBWV102冒頭合唱で「主よ、汝の目は信ずる者を見守りたもう」と背信を諌めます。  
第2曲 グロリア 合唱  g-moll 3/4
 バッハには珍しい短調のグロリア。「Gloria、Et in terra、Laudamus te」の3部構成で、中間部はEt in terra(地には平和)と静かに歌います。原曲のBWV72冒頭合唱は「すべてただ神の御心のままに」と神に委ねる甘美で心地よい曲。
第3曲 グラツィアス アリア(バス)  d-moll 2/2
 ユニゾンのヴァイオリン・オブリガート、独唱バスと通奏低音によるトリオ。原曲は共通の基幹カンタータであるBWV187の第4曲で「衣食に思い悩むな、神を信頼すべき」と力強く説いています。
第4曲 ドミネ・フィリ アリア(アルト)  B-dur 3/8
 ソロオーボエを伴う舞曲風アリア。原曲は同じBWV187の第3曲で「主の道には油と祝福がしたたる」と恩恵を讃えます。
第5曲 クイ・トリス アリア(テノール)  Es-dur 4/4 → 3/8
 ソロオーボエ、テノールと通奏低音によるトリオ。後半Quoniam tu solusから活発な3/8になりますが、原曲BWV187第5曲でこの部分は、神がみな面倒をみて下さるのだから「心配よ、去れ」と速いテンポに変化します。
第6曲 クム・サンクト・スピリツ 合唱  c-moll → g-moll 4/4
 原曲の導入器楽リトルネッロはカットされ、いきなり合唱から始まる3部分からなる壮大な合唱フーガ。原曲BWV187の冒頭合唱は食物を与える主を讃美するもので、「ガリラヤ湖畔の食事の光景」がミサでの「聖霊と共に」へと転化。


 このように、ミサ曲ト短調ではBWV187の4曲が基幹となり、3部構成を基本原理として作られています。

BWV233
BWV140

ミサ曲ト長調(G-dur) BWV236
1738年頃成立

第1曲 キリエ 合唱  G-dur 2/2 (モテット様式)
 バスが上昇する主題で歌い始め、テノールがその転回形となる下降主題で応えるという手のこんだフーガの前半と、第2主題が5度カノンChristeで始まる後半部の2部構成。従って第2Kyrieは他のミサのような区切りを持たずChristeに重なるように導入されます。原曲はBWV179冒頭合唱で、「心せよ、汝の敬神いつわりならざるか」と転回形の下降主題がHeuchelei(偽善)を暗示したものが、ミサでは「降誕」の象徴に転化しています。
第2曲 グロリア(Vivace) 合唱  G-dur 2/2
 いきなりソプラノとアルトの二重合唱で始まり、Et in terra (地には平和)で全合唱となります。原曲BWV79の冒頭合唱では「主なる神は太陽にして楯なり」と神を讃美する華やかな冒頭ホルン二重奏が、ミサでは二重合唱となっています。
第3曲 グラツィアス アリア(バス)  D-dur 3/4
 堂々たるアリアで、特に最後に歌われるpropter magnam gloriam tuam (主の大いなる栄光のゆえに)の長大メリスマは極めつけ。原曲はBWV138第5曲で神への信頼を歌っています。
第4曲 ドミネ・デウス 二重唱(ソプラノ、アルト)  a-moll 2/2
 ユニゾンのヴァイオリンを伴い、神への敬虔な祈りを捧げる「4つの短ミサ」唯一のデュエットで印象的な曲。原曲BWV79第5曲では、ソプラノとバスの二重唱で「ああ神よ、味方を見捨てないで」と神の護りを願って歌います。
第5曲 クオニアム(Adagio) アリア(テノール)  e-moll 4/4
 ソロオーボエ、テノールと通奏低音によるトリオ。原曲はBWV179第3曲で、偽善をいましめた厳しいものだが、伴奏を手直ししアーティキュレーションを変え、Adagioとすることで曲想は随分変化。
第6曲 クム・サンクト・スピリツ 合唱  C-dur 4/4 → G-dur 3/4
 和音進行による導入合唱のあと、2部構成の合唱フーガとなります。原曲BWV17冒頭合唱「感謝を捧げる者、われを讃えん」のフーガ主題が Cum sancto Spiritu (聖霊と共に)に置き換わって歌われ、 in gloria Dei Patris (父なる神の栄光のうちに)に差し掛かると、他の声部があたかも「聖霊と共に」を描くかのように、原曲にはない和音で合いの手を添えます。曲が進むにつれオーケストラが大きくなり、盛り上がってアーメンで曲を閉じます。

 

 ミサ曲ト長調はBWV79と179を基幹に、Duality (2部構成、二重唱等)を基本原理として作り上げられています。

(藤井 良昭:会員)

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